サポーターインタビュー

2022/08/19

備家 悠一郎 さん

インタビュー画像
移住年月 2016年
年代 30代
職業 公務員

備家さんは埼玉生まれ。幼少期は祖父母の住んでいた佐渡へ毎年のように訪れ、佐渡に慣れ親しんできました。28歳のとき佐渡へ単身孫ターン。現在は佐渡でご結婚なされ、二児のパパとして子育ての他、伝統行事でもある鬼太鼓など地域の行事にも積極的に参加されています。

 

 

Q.佐渡に孫ターンしようと思ったきっかけは何ですか?

 

元々幼少期からG.Wや夏休みは父の故郷である佐渡島の柿野浦へ帰省していました。柿野浦は和太鼓集団鼓童の研修所があるので、同性代の研修生との交流もそのときありました。Iターンと違い、孫ターンは移住先に親戚縁者がいるのは心強いことかもしれません。

柿野浦集落は高齢化が進み、ほとんどお年寄りです。大学生のころ祖父母が亡くなったとき、母の言った何気ない「この集落は10年あるかわからないね」という一言が心に引っかかっていて、何かここに携わりたいという気持ちがそのときからずっとありました。その後就職してもその気持ちは変わらなく、28歳のときに佐渡へ孫ターンしました。

 

 

Q,佐渡で子育てをしてよいところ、大変なところ を教えてください。

 

良いところは、みんなで面倒を見て当たり前、親戚に頼って当たり前、といって助けてくれる人がいることです。最初は「自分たちで何とかしないと」という気持ちが強かったんですが、皆さん目を配ってくれて自分も素直にお願いできるようになりました。Uターンや孫ターンはそれが強みかもしれません。他には市の制度として歯のケアの取組みが他自治体より強いと思います。自然の中で刺激を受けることも多いので、いい環境だと思います。

大変なのは、遊べる室内施設が少ないので、遊び場に苦労があります。特に悪天の多い冬場は遊びを考えることが大変です。何でもある都市部とは違うので、親の工夫は必要ですね。

 

Q.地域活動として鬼太鼓に積極的に参加されていますが、きっかけは何ですか?

 

鬼太鼓は各集落に伝わる伝統行事です。柿野浦集落には住んでいませんが、何かしら関わりたいと思っていたところ、鬼太鼓に参加させてもらおうと思って、叔父に相談したところ「練習に来い」と言ってもらえたのがきっかけです。最初は打ち解けられるかなと心配でしたが、練習に行くと集落に住むほとんどの方と顔合わせが出来て、皆さん喜んでくださいました。そういうところに自ら飛び込んでいくことで、コミュニティが出来ていくと思います。祭りに参加してからは、道作り(柿野浦では道普請のことを道作りといいます。草刈)や町内会の総会にも参加しています。その集落に住んでいなくても、集落の一員として迎え入れてくれています。佐渡島内にもう一つ守るべき場所があるという感覚ですね。

 

Q.UIターンを検討している方にメッセージをお願いします。

 

色んな地域から色んな方がそれぞれの事情で佐渡へいらっしゃると思います。「住むからには、新しいことを何かやんなきゃいけない!」と思わなくても今まで自分がやってきたことを棚卸して、アウトプットするだけでも喜んでくれます。

私の場合、学生時代ずっと器械体操をしていました。縁あって、今は子ども体操教室の手伝いをしています。子どもたちがバク転が出来るようになったときの笑顔を見ると、今まで自分がやってきたことは無駄ではなかったんだと、気づかせてくれます。皆さんの経験や特技が、新しい環境で活かせるチャンスはたくさんあります。

私は佐渡に来てから家庭を持ちました。家族で移住される方で、「体を動かしたい!」や「遊びを知りたい!」という方はお声掛けください。色んな友だちづきあいのきっかけをお手伝いしたいです。

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